March 2009
また、私にメールをくれた人の中に、こんな人もいました。「今、ネットカフェにいて、所持金は200円くらい。もうお金を払えない。働くこともなかなかできない。生きていても迷惑をかけるだけ。だからこれから自殺します」。こんなふうに、「迷惑」という言葉が使われています。この方は、肉体的には働くことはできますが、家もお金もないので、就職活動ができないという意味で、「働くことができない」と言っています。「小さい頃から、親や先生に“人に迷惑をかけるな”と言われて育ってきた。こんな自分がいても社会に迷惑をかけるだけなので死にます」と。「迷惑をかけない」ということが最優先課題になっていることが、日本社会がものすごく病んでいることを象徴していると思うんです。フランスはどうですか?” —特別対談 雨宮処凛×山本三春(2) (via nakano)
今日、ちょっと書いてみたいのは「システムの力」ということ。
大学時代、ゼミでジョン・トムリンソンの「文化帝国主義」という本を読みました。
えらく前置きが長く
でもそれだけ、何かを断定することに慎重で
とても好感を持って読んだことを覚えていますが
その本の主題は、世界中にマクドナルドがあり
コカ・コーラが飲めるという今日を、
どのように理解すればいいかということ。
ときにそれは、「アメリカによる文化の押し付けである」と
単純化されて話されてしまうこともあるように思うのですが
それは少し一面的であるように思います。
理解が間違っていたら
ぜひご指摘いただきたいとも思うのですが
ジョン・トムリンソンがその本を通じて語っていたのが
近代資本主義というシステムの力学とでも言うべきもの。
つまり、世界中にマクドナルドやコカ・コーラを普及させることを
推進している「意志」とは、一体誰のものなのか?
「各社の経営陣がそれを志向しているのだ」と語ってしまうのは
それはそれで分かりやすいわけですが
本当にそうなのでしょうか?
その要素はもちろんゼロではないと思いますが
各社の企業行動をより強く動機付けているのは
実はシステムそのものなのではないのかと思うのです。
ジョン・トムリンソンはそれを
「近代資本主義による発展の無目的性」と呼んでいます。
つまり、誰か個人の意志によってそれが実現されているというより
システム自体が持っている企業行動への期待感こそが
世界中にマクドナルドやコカ・コーラを普及させる
原動力になっているのではないか、という考え方です。
近代資本主義が企業に期待する成果とは
「できるだけ短期に、売上・利益を成長させること」と
捉えることはできないでしょうか。
とすると、やはりマクドナルドもコカ・コーラも
誰が望むともなく、
自然とフロンティアを目指さなければならなくなる。
結果、副産物として
各国・地域固有の文化が喪失されるリスクが生じてくる。
このような捉え方はできないでしょうか。
こうした考え方は
明確に非難すべき「悪者」がはっきりしない分だけ
むしろ対処が難しい、という面があるかもしれませんね。
普遍経済学入門―贈与と時間とキアスムと
今回の強調は、純粋贈与を刺激し、純粋贈与から刺激を受けるものが「交換」だけなら世界は不安定にならざるを得ないけれど、「贈与」を加えることで安定すること(当たり前すぎておもしろくもなんともないけれど)。
破綻した金融資本主義の問題点は「贈与共同体の破壊」である。
贈与を破壊することで「交換」は最速となるけれど、あたしたちは時間軸を失う。
時間軸を失った経営は即時性に走り、投資家は即時的なゲインを求める。つまり株主至上主義であり、コーポレント・ガバナンスである。
企業に時間軸が無いと、企業組織は、長期的に継続する実体(ゴーイング・コンサーン)ではなく、ただそこで利益を稼ごうとする個人の集まりにしか過ぎなくなる。
それは企業を構成する人間(従業員)観を変える。従業員はそれぞれがただ個人的な利益を求めて一時的にそこで仕事をしているだけだというに過ぎない。
つまり社員は派遣で十分なのであり、時間をかけて人材を育成するという贈与的な経営を株主は求めていないという理由で、会社組織内の「贈与」的慣習は邪魔者でしかなくなる。贈与が消える。
企業を取り巻く環境(地域社会、自然等)も、生産要素に還元できないものは単なる邪魔者になる。
だから世界は邪魔者で溢れることになる。
普遍経済学(全体としての経済)から見れば世界のすべては生産要素でしかないのだけれども。
資本主義の推進エンジンが人間の〈欲望〉である限り(というかそれ以外にあり得ないのだけれども)、その〈欲望〉を市場にただ解き放つだけなら市場は失敗を繰り返すのは当然でしかないだろう。なぜなら倫理が働かないからだし、〈欲望〉は利己的な部分を強く持つからだ。
だから市場には〈欲望〉の縛りが必要なのだし、それをハイエクは「自制的秩序」といったのだろう。その縛りが「贈与共同体」なんだろう。
そして「贈与共同体」の欠点をあたしたちは既に学習済みなのである。
つまり偶然以外に外とはつながらない。
だからIT化は、共同体性を保ちながら如何に外とつながるのかに向かう。
その方法がツイスト(ひねり)であり、キアスムであり、その活動がネットワーク化されたものとして広くて薄い紐帯(ウィークタイズ)があるということ。
” —モモログ|普遍経済学入門―贈与と時間とキアスムと。2009年3月28日桃組春の勉強会資料。 (via nakano)『Hanako』が絶好調 “雑貨化”する女性向け情報誌とは!?(nikkei TRENDYnet) - Yahoo!ニュース
(via rob-art)
(via nakano)POLAR BEAR BLOG: 「テレビの、これから」の中でテレビ関係者側にノスタルジーを感じた件 (via otsubo)
思いつき:知らない国の場末の映画館でひどい字幕付きで上映されていて、なお人を楽しませている古い映画のむき出しの力とか
(via nakano)コンプライアンス論というとガバナンスの仕掛けをつくって正しく運用すれば不正は起こらないって前提だけれども、実際にはサブプライムのような問題が起こった。これが市場ではなく統治の問題であろうことは、CDSを組成したファンドも、CDSを買い付けた金融機関も、いかがわしいことをやっている自覚があったもののバーゼル2の健全性基準を満たすために低コスト・高格付け債券の量を確保する必要にせまられ、報酬体系や諸々が短期的に成果を出すよう動機付けていた。
いま金融機関のレバレッジを低く抑えようとか議論が出ているが、バーゼル2が非合理的な投機活動を助長したことについて総括を要するのではないか。長期的なパフォーマンスに基づいて処遇することも考えられるが、人材が流動的である場合は難しい。どのような動機付けや規制を行ったとしても、性悪説で考える限り制度や報酬の歪みに応じた部分最適行動を止めることは難しいのではないか。
” —倫理と帰属意識あるいは世間の再評価 - 雑種路線でいこう (via buru)
検証可能性についての視点がすっぽり抜けておりますな。
(via tekusuke)ショートのうなじの色っぽさ、ロングのしっとりとした女の子らしさ。
一見矛盾する二つの要素を完璧兼ね備えているんすよ。” —わくてか速報 : 【画像】ポニーテール娘の二次画像 - livedoor Blog(ブログ) (via fumihiro)
アルバムのキャンペーン中に博多でやったイベントで、
話の流れで、会場のお客さんに、
「まだ家のテレビはアナログ対応だっていう人」
という質問をしてみたら、なんと、9割ぐらいの人が手を挙げた。
やっぱりそうなんですね。
こんだけ宣伝してるし、
実はもう世の中の半分、いや7割ぐらいはデジタルに移行してるような印象があるけど、
ちゃんと、身近な人に聞いてみたら、こういうもんなんですよ。
イメージって恐いね。
だからやっぱり、なんかおかしい気がするな、と思ったら、
みんなで、どうなんだろうっていう話はした方がいいですね。
ひとりでもやもや考えていると、所謂、声がデカイ人とか、演出が派手なメディアには、
負けてしまいますからね。
なんか、自分だけがおかしいような気がしてくる。
15 名前: トマホーク(東京都) 投稿日: 2009/03/27(金) 21:37:05.23 ID:roM+N1uc
»1
もし仕事に行きたくなくなったら、そのまま反対の電車に乗って、
海を見に行くといいよ。
海辺の酒屋でビールとピーナツ買って、海岸に座って
陽に当たりながら飲むといいよ。
ビールが無くなったら、そのまま仰向けに寝ころんで、
流れる雲をずっと眺めるといいよ。
そんな穏やかな時間がキミを待ってるのに、何も無理して
仕事になんか行く必要ないよ。
20 名前: 野外炊具1号(愛知県) 投稿日: 2009/03/27(金) 21:38:05.90 ID:Cz6gykTM
»15
環状線だったらどうすんの
「ポッドキャスティングで『ストリーム』を聴いて、初めてラジオを聴いてくださった方も多いと思います。ただ、現在の市場のルールでは、それが数字には反映されません。その意味で、卒業などという言葉ではなく、敗北だと思っています」” —眼鏡堂通信:TBSラジオ『ストリーム』最終回~「敗北」を抱きしめて~ - livedoor Blog(ブログ) (via isbsh) (via takaakik)
ある日、校長先生から電話があった。
「お嬢さんのことなんですが・・・」。
校長先生からの電話なんて、いったいなんだろう。
娘が何か良からぬことでもしたのだろうか。
一瞬胸騒ぎがした。
「実は、今年度の区主催の式典におきまして、徳行のあった小学生を表彰するにあたり、お嬢さんが選ばれましたのでご報告したいと思いまして・・・」。
いったい何のことだろう。「いつもお嬢さんがお母さんに代わって家事をなさっていると聞きまして、そんな感心なお子さんなら、学校としても名誉なことですので、ぜひと思い推薦しました」。
私は思わず絶句すると同時に、「ああ、またか、やれやれ」とため息をついた。
私が主婦であることを知りながら「いつも食事の支度はどなたがなさっているんですか?」と聞かれるのは日常茶飯事だからだ。
そのつど「はい、私がやっています」と答えるのだが、ほとんどの場合、相手は納得がいかないというように黙ってしまう。
当然ほかの家族がやっているものと思い込んでいるから二の句が継げないのだ。
慣れっこになっているとはいえ、いつも情けない思いになる。
” —料理をめぐって
断った後の話も凄い。 (via diphda) (via vmconverter) (via yamato) (via mitaimon)
上の引用のつづきと、断った後の話。
一緒にレストランに行けば、割った割り箸を渡してくれ、断りもなしに茶碗やお椀の蓋をとってくれる。
一歩外にでれば、こんなことの連続で、いちいち気にしてはいられない。それに、これらは少なくとも親切心から出ているのだから。
だが、例えば、白杖を持って一人で歩いているとき「どこへ行くの?」と言われ、電車に乗れば隣に座っている人がいきなり「おうちはどこなの?誰と住んでるの?」などと聞いてくることがある。
この、初対面にも関わらず子供に対するような言い方の裏には、根強い偏見を感じてしまう。
(中略)
私は気を取り直して聞いた。「あの・・・、それはどなたからお聞きになったのでしょうか?」。
校長先生は言った。「いつもお母さんに代わって買い物をされていると聞きました」。
確かに、「ネギを買うのを忘れたから買ってきてくれない?」、「玉子が足りないから買ってきてちょうだい」などと、時々娘や息子に頼むことがある。
きっと、買い物をする子供たちを見た人が、PTAの役員会か何かで、そのことを言ったのだろう。
そして、当然家でも家事をやっているに違いないと想像したのだろう。
私が一人で買い物をしているところを見た人もたくさんいるはずなのに・・・。
「あの・・・、家族で相談しましてからお返事いたしますので、ちょっとお待ちいただけないでしょうか?」。
「いや、もう決まったことですので、それでは困ります」。
「娘にも聞いてみませんと・・・」。
「お嬢さんだって、いつもけなげに尽くしているのですから、表彰されて当然じゃありませんか?」。
「すみません、一応確かめてみますので・・・」と言って電話を切った。
娘に話すと、「いやだよ、恥ずかしいよ、味噌汁も作ったことないのに・・・」と泣き出さんばかりだった。
これには、私も夫も、おもわず笑ってしまった。
次の日、また電話があったので、そのままを伝えたところ、「ほんとですか?それはお嬢さんの本心じゃない気がしますね。
お母さんだってお嬢さんに苦労をかけているんだから、こういうときこそ、いい思いをさせてあげるべきじゃないんですか?
私のほうから直接お嬢さんに話してみます」。一歩もひかない姿勢である。
その日、私は盲学校時代の友人たちに相談の電話をしてみた。
驚いたことに、「私もそんなことがあった」、「うちでは上の子のときも下の子のときもそう言われた」、「そういえば、そんなふうに言われたという人の話を聞いたことがある」などと言う人が何人もいたのだ。
それにどう対処したかといえば、「子供が断固として嫌だと言うから断った」、「うちの子は、勉強もスポーツも駄目だから、こんなときくらい表彰台に立たせてやってもいいかなと思ってOKした。
それに結構買い物なんかさせてるしね」、「聞いた話だと、その人は仕事が忙しくて半分くらい子供に家事をやらせているからということでOKしたらしい」、
「考えてみれば、子供の目を借りることも結構多いから、まあいいかと思ってOKした」、「うちの子は自分で校長室へ行って断ってきた」等々だった。
あちこちの自治体で毎年同じようなことをやっているのだということに、まずおどろかされた。
いろいろな意見を聞いているうちに、私の気持ちは少し揺らいできた。
確かに、私だって何かと子供の目を借りることも多いわけだし・・・。
次の日、校長先生が教室に入ってきて説得しようとしたが、いつまでも娘が首を縦に振らないので授業が始められず、結局あきらめたとのことだった。
ところがである。
その3年後、またしても校長先生から電話があった。
今度は息子を表彰したいと言う。新任の先生だから3年前のことはご存じないようだった。
息子は自分で断った。
きっと、今でも毎年こういうやりとりが、延々とあちこちで繰り返されているのだろう。
それは、家事、特に火を使う炊事は、目が見えないと危険であるという先入観から来ているのだ。
しかし、具体的にどういう場合に、どういう風に危険なのかと考える人はあまりいない。
火の状態を感知できるのは目だけだと思い込んでいるからだ。
それは無理からぬこととも言える。ふだん目以外の感覚を使うことがほとんどないからだ。
主婦が全盲だったり、全盲の一人暮らしだったりする場合、それが分かった途端アパートを貸すのを断られたという話は、昔から何度も聞いてきたものだ。これも、つまるところは「火」なのである。
しかし、全盲者が火を出したという話は、少なくとも私は一度も聞いたことがない。
それは、見えないがゆえに人一倍気をつけているからだろう。
そして揚げ物の話につづく。
(via ahiru178)
フォローありがとうございました。
(via mitaimon) (via takaakik)22日に開催された「東京マラソン2009」のテレビ中継はとにかくひどかった。中継を担当したのはフジテレビで、朝9時から夕方4時25分までお祭り騒ぎを繰り広げた。
同局の「ジャンクSPORTS」の司会を務めるダウンタウン・浜田雅功がメーンMCだった「第2部」は、バラエティー化に拍車がかかり、番組を盛り上げる企画で、古田敦也、金村義明、片山右京、本田泰人夫妻、魔裟斗、須藤元気といった新旧スポーツ選手がフルマラソンに挑戦。「チーム吉本」としてワッキー、たむけん、エド・はるみ、河本準一なども出走し、石原慎太郎都知事と一緒になって“五輪招致の大合唱”。カメラはタレントの様子を追いかけ回し、走り終えるとスタジオに招いて、浜田との掛け合いをタレ流した。
「去年の大会を中継した日本テレビが20.6%の視聴率を取っただけに、フジは盛り上げようと必死でした。直前まで“完走どころか命も危ない”といわれていた曙太郎を走らせようとしていたし、夜7時からは『ジャンク――』の2時間特番を放送し、再びマラソンに挑戦したタレントを出演させました」(テレビ関係者)
松村邦洋(41)もこうしたバラエティー化の“犠牲者”だ。松村は東京MXテレビの番組企画でマラソンに参加したが、走行中に意識不明になって倒れ、病院に緊急搬送された。
一命は取り留めたが、急性心筋梗塞による心室細動が原因だったというから、危機一髪だった。
だが、視聴者はバラエティー化にうんざりしている。
第1部は視聴率15.0%、第2部は10.1%で不発に終わった。「視聴者はスポーツ番組のバラエティー化なんて求めてはいないのです」と、作家の吉川潮氏はこう続ける。
「本来、スポーツは手に汗を握って観戦するもので、タレントが集まってワイワイ騒ぐような場面は一切いらない。競技そのものを楽しみたいファンにとっては見るに堪えません。野球でも五輪でも、フジはスポーツ番組をバラエティー化した先駆けといえます。それだけに、制作側には“ウチのスポーツは他局とは違う”といった変なうぬぼれがあって、視聴者の気持ちを無視してバカ騒ぎを繰り返しているのでしょう」
フジと正反対なのがTBSでタレントが出演していない「WBC中継」は高視聴率を連発し、20日の韓国戦は40.1%をマークした。
視聴率が好調のNHKでは、福地茂雄会長が「スポーツをバラエティー化するのはやめて、とにかく競技そのものを見せるように」と指示して、昨年の北京五輪中継はNHKがひとり勝ちした。
フジは時代遅れだ。
(日刊ゲンダイ2009年3月26日掲載)
” —東京マラソンを下品なバラエティーに変えたフジテレビの感覚 - livedoor スポーツ (via tetsuyay) (via kml) (via takaakik)居るはずのお化け役が消えたお化け屋敷程、怖い物は無いのよ。” —思わず納得してしまったセリフ 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww (via petapeta) (via device302) (via takaakik)
ジェンソン・バトン-オーストラリアGP・ドライバーズコメント
残念なことに誠に残念ながら、ホンダのエンジンはダメだったんです。
(via tekusuke)今あなたのおうちの近くよ。” —No.1829 忍び寄る足音 - コピペ運動会 (via oosawatechnica)
先週のメルマガ・『週刊はてな』で、「ほっこり」という言葉を使って次のような文章を書きました。
> 思わずほっこりする写真が集まった先週のお題「私の好きな写真」。
> 今回、紹介させていただくエントリーはこちらです。
そうしたら、ブックマークのコメントで「誤用」であることを指摘していただきました。
調べてみると・・・
> 京都ことば。
> 基本的に「つかれた」と言う意味。
> 肉体的より精神的疲労の場合に使われる。
> 例→ほっこりしたから、カフェいこか?
> 「つかれた」以外に行動に対する達成感も含まれ、今日はがんばったな~という肯定的な意味になる。意味の無い疲労感は含まれない。それらはただ、しんどいとなる。
> 最近定着しつつある誤用例
> * ほっとする。
> * いやされる。
> * 落ち着く。
> 例:子どもの寝顔を見ているとほっこりする。
> ほっこりとは - はてなキーワード
まさに私は誤用していたのですが、周囲の人に上記のことを教えてあげたら、ほとんどが「ええっ、知らなかった!」「なごむとか、ほっとする、って意味じゃなかったの?」と驚いていました。
ほっこり。とってもいい言葉ですが、ちょっとこれから使いづらいかも。
とにもかくにも、教えていただき、ありがとうございました。
” —個人的には“ほっこり”は「ロハスでスイーツなオトナ女子のアタシアピール」が感じられてあんまり好きな言葉ではなかったのですが、それ以前の話だったことを今回初めて知りました。使わないでおいてよかった…。
(via zenrahanra)
(via otsune)
へー。確か会社の近くにその名も「ほっこり」って居酒屋があるんだけどなぁw
(via vmconverter)
ほっこりって単語を見るたびにささくれだった気分になるので今後まったり的な意味で使っている文章を見つけたらネチネチと誤用を指摘して炎上させたりしようと思う。
(via mendokusai)
(via vmconverter) (via jacony) (via kml) (via takaakik)ホリエモンはこのままでいて欲しいなあ
(via oosawatechnica)ジョン・メイヤーがジェニファー・アニストンと先月別れた理由は、ジョンがTwitterばかりやってるから。―と、ジェニファーのお友だちがStarマガジンに証言してます。
なんでも、ジョンはメールにも電話にも返事くれなくて、やっとつかまれば、「仕事ですごく忙しくて。電話に返事しなくてごめんね」と言い訳ばかり。でも、ウェブページでは多忙とは思えないほどマメにTwitterを更新してたそうなんです。
「数時間置き、ひどいときには数分置きに、なんか馬鹿な1行書いてアップデートしてるわけね。そしたら彼女の方だって、“こんなにTwitterする暇があるのに、私にはテキスト1本、電話1本できないの?”とかいう気持ちになっちゃうでしょ」(友人談)
ジェニファーが電話で別れ話を切り出すと、ジョンは「OK」とアッサリ男らしく別れたそうです。でも、そのすぐ後には、
「この気持ちに、取扱い説明書はついてこなかった」
とTwitterしてたそうですよ。
” —Twitterやり過ぎでジョン・メイヤー、ジェニファー・アニストンと破局 : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン)
小町で愚痴られたTwitterダンナを思い出すなぁ(遠い目)
(via micamica)
(via nseki)
(via otsune)
(via mnnm)
だってTwitterに1行書くのって忙しくても何も考えんでもすぐpostできるやん.彼女にメールするとか 電話するとかはどうしようとか悩みながら一時間かかったりするやん.考えるコストが全然違うナリよ.(via oosawatechnica)1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2005/12/12(月) 23:46:53 ID:eoR3b/fN0
元SMAPだけど質問ある?
特定されない範囲で
3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2005/12/12(月) 23:47:12 ID:O6IUw2Ip0
ちょwwwwwwwwwwwww森wwwwwwwww
さて日本ではさぞかしうるさかったでしょうWBC中継。激闘(?)の延長戦の末、日本の連覇が達成されましたね。まああの日の両チームの調子を見たら10対2くらいで日本が勝っていてもおかしくありませんでしたが、さすがは見せる監督ですね、わざと延長戦に持ち込むとは・・・なかなかやりますね。
コロンビアでもESPNデポルテというスペイン語版のスポーツ専門チャンネルで生放送されていてコロンビア時間で夜中2時の試合終了まで僕も見ていました。たぶんこの番組は中南米全土に放送されていたのでしょう。
その放送の中でこんなうれしいリポートがありました。あれは確かまだ試合がどっちに転ぶかわからない展開だった8回頃。投手交代の間に日本のベンチがうつされました。その日本ベンチのすぐそばからリポーターがこんなことを話し始めました。
『みなさん、これが日本のベンチです。なんてきれいなんでしょう。足元にはゴミ一つ落ちていない、バットやヘルメットもきちんと所定の位置に並べられている。飲み物のコップもきちんと片づけられている。アメリカや中南米のチームのベンチはゴミとひまわりの種で散らかっているのにこの違いは何なのでしょう?そうですこれが彼らの文化なんです。ゴミを足元に捨てない、道具を並べる、それが当たり前に行われている。それが日本をはじめとするアジアの素晴らしい文化であり教育であり規律正しさなのです。グラウンドでバットやヘルメットを投げるアジアの選手がこのWBCでは一人もいません。そしてその規律正しいアジアの2カ国が決勝まで勝ち進んできたのです。』と。
うれしかったな〜、これ聞いた時もう優勝はどっちでもいいかなって思った。
アメリカや中南米の野球はそんなアジアでは当たり前のことができないんです。大リーグの中継を見てもベンチはほんまに足の踏み場もないくらいゴミだらけ。ようイチローもこんな汚いベンチでやる気がわいてくるわと思うくらいぞっとする。そしてそのアメリカの影響をもろに受けるコロンビアでもそう。
” —野球を通じて世界平和を2: WBC優勝よりうれしかった試合中のできごと (via oosawatechnica)ぼーっとTumblrのDashboardを眺めながら「このpostはreblogするべきか否か」と悩んでいると,それこそまさに自己の勢力を拡大せんとするmemeと,俺のmemeの集合体が戦っているときだ,というのが大変よく分かる.